支部歴史

どうやって東京支部は発足したのか

昭和30年12月6日 第1回東京支部総会が行われましたが、どうやって発足したのでしょうか?平成4年の同窓会報に齋藤正臣先輩(昭和27年卒)が「東京支部発足の頃の思い出」を残しており、うかがい知ることができます。

齋藤先輩が大学時代に宇高に立ち寄ったところ、雨宮義人先生(のちに校長・同窓会長)に東京支部が始動しないといわれ、古い名簿を渡されたとのことです。齋藤先輩はできるだけ知名度の高い先輩にアタックするべきだと思い、何度か泊まったことがある明賀屋旅館の長男でもあった君島一郎先輩(明治38年卒)に学生の身分にもかかわらずアポイントメントを取ったところから東京支部は始まります。
伺ったときの大邸宅・革張りのソファ・車代2000円1は齋藤先輩にとって生涯忘れられないものだったようです。君島一郎先輩は加藤武男先輩(明治30年卒 吉田一郎内閣経済最高顧問)・宮島清次郎先輩(明治32年卒 日清紡績社長 報恩館の寄付者)には自ら伺うこととし、齋藤先輩には自分より後輩のところに行くように指示を出したそうです。毎週日曜日、指示された先輩の家を訪問し、その際には決まって2000円の車代が出たそうです。

明治33年卒~昭和30年卒まで参加した第1回支部総会の後、昭和31年1月27日に第1回理事会が開かれ、名簿の作成が始まりました。5回ほど集まって名簿を作成し、989名の会員が登録されました。その当時はまだ宇中/宇高卒あわせて9000名強なので、実に卒業生の10%以上が参加する支部となり、昭和31年12月6日に第2回総会が開催されました。また昭和32年5月11日に新入会員歓迎と新就職祝いを兼ねて臨時総会が開催されました。
これらの会では大学生は無料となっており、現在の支部総会で行われている「大学生は無料」は東京支部の伝統ともいえましょう。
(参考文献 昭和31年・昭和32年・平成4年宇高同窓会報)

初代支部長:君島一郎先輩 (写真は滝の原会館内部にあります)
  1. 昭和30年の高卒初任給は7000円程度 ↩︎