第70回10年会への参加を通じての雑感
1 はじめに
令和6年5月18日(土)、第70回目となる10年が実施されました。10年会は新型コロナ禍により中断されていましたが令和5年度より再開され、今年も無事、実施される運びとなりました。日常を取り戻した現在、平成6年3月卒業の我々は会の実施の可否を不安に思うことなく、安心して10年会に参加することができたことを有難く感じました。
自分の3回目の参加を通じて得られた雑感を取りまとめました。来年参加対象となる方々に何らかの参考となれば幸いでございます。
2 第70回10年の概要
(1)日 時
令和6年5月18日(土)午後4時~6時
(2)場 所
ホテルニューイタヤ 天平の間
(3)該当年次
昭和39年卒、昭和49年卒、昭和59年卒、平成6年卒、平成16年卒、平成26年卒
(4)会 費
5千円
(5)式次第
開式の辞、同窓会長挨拶、学校長挨拶、祝辞、鏡開き、乾杯、祝宴、年次代表挨拶、応援歌斉唱、万歳三唱、閉式の辞
3 参加を通じて感じたこと
(1)全般(同窓会の運営への感謝)
私の職場で「この週末、同窓会があるので参加して来ます。」という話題を振った際に返ってくる大概の反応は「高校の同窓会?珍しいね。自分の学校は同窓会をやっているのかな?」というもの。仲間内の発意で同級生が集まることはあれども同窓会と学校が連携して会を開催することはどうやら珍しいようです。加えて10年に1度の頻度での実施は更にレアケースの模様。単独期による同窓会でさえ実施に結び付けることが難しいにも関わらず、複数の卒業期別を管理し、一堂に会する場を設定、運営まで結び付けていただいている同窓会と宇高に勤務する関係者の皆様に改めて感謝の念を抱かずにはいられません。
在校当時は「OBの集まりのために、何故、自分たちがイスとテーブルを運び込み、更に片付けまでやらされるんだ。」と正直、不満に感じる気持ちもありましたが、参加する側になると、これほど有難い同窓会は無いものです。
そして、3回目となると参加で得られる良さ或いはその感じ方も少しづつ変化している気がしました。
(2)10年会の有難さ
ア 過去と未来のトレース
今年の会の最先任期は昭和39年卒の6回目、一番の若手は平成26年卒。3回目となる我々平成6年卒と4回目の昭和59年卒の間に丁度中間が来るという期別の構成でした。
28歳で初めて参加したときのことを思い返すと先輩が皆、大人に見える一方で、一番の若手という立場に妙な嬉しさを感じたことを覚えています。少し乱暴な言い方をすると「会場には大先輩しかいないな。」という表現が近いかもしれません。
3度目の参加となった今回の興味深かった点は、比較的冷静に相対的な関係を感じられたことです。平成16年卒の人達は経験とエネルギーの充実した感があり、平成26年卒には美しさを感じるくらいの若さを感じました。昭和59年卒の先輩の姿に自分の10年後を想像し、昭和49年卒、昭和39年卒の先輩からは巷で言われる「人生100年時代」に向けて社会と関わり続ける未来を垣間見ることが出来ました。
単独期の同窓会では自分達の現在地は確認できても過去や将来を想像することは難しいでしょう。しかしながら、10年単位でOBが会すると懇談がなくとも各期がテーブルで盛り上がっている様子を見ることで時代をトレースできることも10年会の魅力といえるでしょう。
イ 恩師、同期との懇談から学ぶ自分の知らない世界への扉
そんな会の中でも最も多くの時間を割くのは、やはり同期の関係です。生徒だけでなく恩師も含めて在校当時の思い出話で盛り上がりました。「〇〇君は遅刻の常連さんで朝のHRではよく怒られていた」とか「宇高祭におけるクラスのテーマはどうやって決まった」や「俺、宇高点が最後まで志望校に届かなくてさ」など日常生活では全く思い出す必要がないため封じられた記憶である当時の学校生活、同級生との遣り取りが鮮やかに甦ってきました。また恩師からは学生とは異なる視点、それは複数の期別を同じように送り出すという担任の立場から定点で学生を見てきたからこそ感じた平成6年卒の特徴を伺い、更に懐かしい日々を思い出しました。
現在はそれぞれが全く異なる道を進み、異なる立場で生活していても、思い出を辿ることで共に過ごした時間を顧みることができるのは、それぞれが宇高生として充実した生活を送っていたからであり、改めて宇高というフレームワークの素晴らしさとそこに関わることができた幸運を感じました。
また、思い出ばかりでなく卒業後の人生や現在の仕事等の近況も情報交換されます。皆、人には言えない苦労はもちろんあるのでしょうが、明るい顔でいろいろ教えてくれます。皆さんの現在を知ることも大変に楽しい時間でした。現在地まで順調に進んできた人もいれば、つい最近になって、自分の進む道を新しく見つけてチャレンジした人もおり、皆さんの体験談、苦労話が大変に興味深く、自分の知らない世界を覗き見ることで多くのことを学ばされました。
(3)将来を見据えて
ア 在校生への同窓会の認知度向上
自分にとって2回目の会と今回の大きな違いは開催場所です。皆様ご承知のとおり、過去の10年会は宇高の講堂で実施されていたのですが今回は部外施設(ホテル ニューイタヤ)で開催されました。新型コロナ禍による会の中断と校内で飲酒を伴う会合を実施することの許容性の変化等により令和5年の再開から校内での実施は難しくなったと伺いました。
時代が変われば当時許容されていたことが実施困難となることは理解できます。でも、10年会は何かしらの形で校内において実施できないものかと思います。それはOBとしてのエゴではなく在校生に認知してもらい卒業後に参加してもらうために効果があると考えるからです。自分の経験と記憶が普遍性があるものとは言えないので感覚的な話となりますが、在校当時の自分の目に学校で実施される10年会がどう映っていたのかを思い起こしてみました。
在校生が会場設営及び片付けの作業は正直、面倒なことだと思っていました。何故、我々が10年以上前に卒業した先輩のために作業をやらされなくてはいけないのか。そもそも「10年会って何だ?」という気持ちを通じて会の存在が記憶に残りました。会の当日、土曜日ですが、部活の帰りがけにOBが講堂に集まっている様子を見たり、すれ違うOBへの挨拶を通じて「10年会に参加するってこんな感じか。」ということ認識し、今の参加への意識付けになっていると感じています。
翻って、現在の10年会は在校生の目に触れないわけですが、彼らにどう記憶されるのでしようか。将来への不安は杞憂だというご意見ももちろんあるとは思いますが10年会の存在を在校生へ、教育による知識ではなく経験を通じた自然な形での認知をして貰えたらと感じています。
飲酒の有無が課題であるならば、例えば、記念講演の様な飲酒を伴わない行事を講堂で実施し、母校を懐かしんだ後、部外施設で飲酒を伴う懇談をするという要領もあり得るのではないでしょうか。お酒のない行事では参加者が得られないのではという意見も予想され悩むところではありますが。
イ 10年の空白を埋めるには短い時間
変化の激しい現在、10年ひと昔とよく言います。確かに10年ぶりにお会いすると大変懐かしく、互いの記憶を引っ張り出してきて共通認識から個別の経験談まで話に花が咲きます。
会は120分で計画されていますが、懇談の時間は実質90分弱といったところでしょうか。ここで前述の話を展開すると自分の記憶と近況で一分ずつ計2分の話をするとなると相手も同様に2分が必要になり、理論上、一人と話をするのに4分を要することになります。そうすると90分でお話をできる人は22名程度となり、その間に料理を胃に入れたりすると計算上は20名がアッパーでしょうか。
そこで少しでも円滑に話が出来たら、得られる情報が増える、或いは話題をフォーカスすることができるかもしれません。では、どうしたらいいのでしょうか。それは10年ぶりという枠に囚われず顔を合わせる場が作れたら良いのではないでしょうか。
そのために同窓会東京支部は大変便利な場所になり得ると感じています。近くに住む同期に呼び掛けて参加者が増えれば、10年の空白を埋める場として活用でき、機微な話ができるかもしれません。たとえ同期がいなくとも宇高及び同窓会の近況に係る情報が得られることで10年会への参加意欲も向上することでしょう。是非、傍におられる同窓生へ同窓会東京支部を紹介していただければと存じます。
4 OBの皆様へのご紹介
最後に宇高は令和10年に創立150周年を迎えます。そこで宇高同窓会から滝の原会館として親しまれている旧本館の改修工事について説明がありました。
滝の原会館は東日本大震災の後、耐震診断を行った結果、大掛かりな耐震補強工事が必要となり、現在は立ち入りが制限され、通常利用が出来ない状況にあるそうです。このため創立150周年を目途に改修工事を実施し、同窓生や在校生等が生きた施設として利活用できるようにしたいと考えているとのことでした。
この事業を実行するには約1億5000万円の費用が必要であり、同窓生はもとよりご縁のある方々に広く募金のご協力をお願いしていました。
募金の受け入れ先は公益財団法人「滝の原財団」となっており、税制上、寄付金控除の対象となるようです。インターネット上で「滝の原会館 修復募金」で検索していただくと宇高のHP上に詳しく情報が記載されています。何らかのご参考にしていただけましたら幸いです。
5 終わりに(謝意)
短い時間でしたが、懐かしの宇都宮で多数の同級生にお会いできたことを喜ぶとともに、このような会を企画・運営していただいた同窓会及び学校関係者の皆様に改めて感謝の言葉を申し上げ、終わりにしたいと思います。
木屋 正博(平成6年卒 陸上自衛官)