会員投稿,  首都圏研修/フィールドワーク

首都圏研修C班体験記 前編 「社会科学と政策:国際開発研究の現場から」

 2024年12月3日、私は、15名の宇高生を一橋大学に迎え、修学旅行の首都圏研修Cコースの一端を担当した。折しも銀杏の紅葉が見頃を迎え、初冬の雲一つない青空の下、2025年に150周年を迎える一橋大学のキャンパスがもっとも美しいタイミングとなった。一橋大学の卒業生ではない私が、1997年に縁あって赴任して以来、ここに根付いてしまったのも、美しいキャンパスが一因であることを再認識した。
 Cコースは、社会科学分野を大学で学ぶことに関連した研修を午前中に一橋大学で行い、午後に東京学芸大学で人文科学の研修を行うという形式になっており、この組み合わせは2024年が3回目になる。私の講義のタイトルは、「社会科学と政策:国際開発研究の現場から」である。一橋大学の紹介、私の自己紹介に続いて本題に入った。
 南アジア地域、とりわけその主要国であるインド、パキスタン、バングラデシュをフィールドにして、開発経済学・計量経済学の手法を用いて、制度・政策のインパクトを定量的に分析し、開発途上国の貧困削減につながるような政策設計について考察するのが、研究者としての私の仕事である。冒頭の図に入っている写真は、私がこれまで関わってきたインドとパキスタンでの国際開発研究の現場で撮ったものだ。その成果をこれまで、約50本の査読付き英文ジャーナル論文などの形で発表してきた。このような国際開発研究は、社会科学の女王たる経済学全般に共通するEvidence-Based Policy Making(EBPM, 証拠に基づく政策立案)の潮流を反映している(参考文献の大塚他[2023]参照)。また、EBPMのための分析手法として近年頻用されるようになっているのが、Randomized Controlled Trials(RCT, ランダム化比較試験)である。RCTとは、医学的な新薬実験の社会科学版とも呼ぶべき手法で、政策のあるなしを、治験群(treatment)と対照群(control)とに無作為に割り振る。EBPMとRCTという2つのキーワードを学んでもらうのが私の講義のゴールである。講義中の質疑などからも参加者の高い理解度が伝わってきて、さすが宇高生と感じた。

 ただし私のこの講義では、途上国の事例ではなく、スポーツの例を用いてこれらの概念や手法について解説した。私の宇高での3年間を充実したものにしてくれたのが、バスケットボール部での活動だった。大学での体育会は途中で挫折したが、40歳近くまで目黒区の地元チームで現役プレーヤーとしてバスケのコートに立った。1995年にカリフォルニアの留学先でNBAに出会って以来、ゴールデン・ステート・ウォーリアーズ(GSW)の熱狂的ファンとなって今に至る。宇都宮ブレックスと日本のナショナルチームとリトアニアのナショナルチームをGSWの次に応援しているので、冬のバスケシーズンは、余暇時間のすべてがバスケ観戦に消える。
 バスケットボールと国際開発研究の何が同じなのか?成果を生み出すメカニズムを明らかにしサポート策の効果を定量的に吟味することの難しさが、とても共通しているのである。体力・スキル・ケミストリーといった要因が、バスケットのようなチームスポーツでの勝敗を決めるファンダメンタルとなる。サポート策(良いコーチをつける、遠征費用を集めて対外試合をたくさん行う、トレーニング設備に金をかけるなど)は、これらのファンダメンタルを向上させるためのものであり、お金と労力をつぎ込む以上、どれほどの成果が出ているかを定量的に厳しく問いただす必要がある。しかし、ファンダメンタルをいかに磨こうと、生まれつきの才覚を持ったプレーヤーには敵わないのがスポーツの残酷な事実だし、時の運が意気消沈なサヨナラ負け(あるいは狂喜のブザービーター)につながるのがスポーツの醍醐味である。これらの要因がまさに、実証経済学で扱う政策のインパクト評価に共通するのだ。RCTとは、無作為に割り振ることによって、政策を受けた治験群と受けていない対照群とが、生まれつきの才覚および時の運という意味で、平均では全く同質となる(比較可能なユニットとなる)ように、巧妙に設計された分析手法なのである。

リトアニア・バスケ・ナショナルチーム応援団との交流を示す2006年と2023年の写真

 このような流れでEBPMとRCTの論理構造を説明し、私が現在進めているパキスタンでの幼児保健プロジェクト(発育不全を在宅型定期健診によって克服しようというRCT)を紹介した。講義のまとめとして、経済学的思考方法やデータ解析能力を身につけて、世界への強い関心を持ち、コミュニケーション・ツールとして英語を用いることができるような宇高OBになってほしいとエールを送って、研修終了となった。 (後編予定)

黒崎 卓(一橋大学経済研究所 教授・昭和58年卒)

参考文献:大塚啓二郎・黒崎卓・澤田康幸・園部哲史編著『次世代の実証経済学』日本評論社, 2023年.ISBN 978-4-535-54050-7.